我慢があったらそれは再構築ではありません
最近はこの再構築と言う言葉ばかりが先行しております。
以前、再構築と言う言葉が嫌いと言う記事をどこかで読みました。
再構築を方法論として捉えているからこのような意見が出てしまいます。
方法論ではないのです、夢とロマンなのです。
なぜか、離婚の対義語として再構築が使われておりますが、全く違います。
修復や離婚回避という表現が再構築となっていると言ったら良いでしょうか?
愛され妻までもが、探偵までもが再構築を知らないのに再構築と使ったり。。。
その差別の意味も込めて、ハートスペース的再構築と言ったりもします。
再構築とは、全部ぶっ壊して、新しく構築する事。
瓦礫もきれいさっぱり撤去してその上に頑丈な基礎を打って、くい打ちもしっかりして土台を作り、その上に耐震構造バッチリの家を建てる。
こんな感じでイメージしてください。
再構築中というブログを読んだりすると、再構築中だから夫を責めるのをやめました、再構築中だから夫に自由を与えます、再構築中だから笑顔で過ごしております、再構築中だからセックスも断りません。
あらあら・・・と思ってしまう訳です。
これって結局、愛され妻や良い妻運動なんですよ。
ハートスペース的再構築の必須条件として不倫を終わらせるという条件がありますがこれも満たされてない訳です。
不倫がどうなったか分かりませんが再構築中です、なんておかしなセリフも飛び出している。
皆さまの中で一番に考えてしまう所は再構築中だからNG行為があると思ってませんか?
結局、方法論なのです。
そして、それは妻の我慢に直結しているという事。
いつの間にか、夫ではなく妻が気を遣って生活をしている状態。
この考え方。所謂、方法論に陥ってしまっております。
この状態って実は苦しいですよね。
結局不倫はやったもん勝ちになり妻には制約が増えていく、我慢が増えていく。
再構築には我慢は皆無です。
妻が気のすむようにやりたい事をやっている状態です。
当然ですが、夫のスマホが気になれば見る、帰りが遅ければ電話、フラッシュバックは夫に直接ぶつける、気になったら確認。
文字にするとこれも方法論になってしまいますが、そのような感じなのです。
結局、夫婦再構築って我慢をせずにぶち当たった、当然夫も逆切れしてくる、そんな事を繰り返していくうちに数年経った、あれ再構築してるのか?
我慢が再構築では絶対にありません。